青空文庫

「内田魯庵」の作品

内田魯庵

うちだろあん

生年:1868-04-27没年:1929-06-29

明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。江戸下谷車坂六軒町(現東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。

via: ウィキペディア

二葉亭四迷の一生

ふたばていしめいのいっしょう

初出:「二葉亭四迷」1909(明治42)年8月1日号

150
2018/06/27

05a56b584be0さんの感想

二葉亭四迷の名前に触れたのは、学生時代の日本史の授業であったと思う。その時は、ただ、試験に出る文人として、代表先の書名を記憶したに過ぎなかった。最近、明治期の大日本帝国陸軍情報将校「石光真清」氏の回顧録に触れ、そこに「二葉亭四迷」と接点を持った旨の記録を見た。ここに、本書を見つけ読み進むに、成る程、二葉亭四迷のハルピン行の記述を見る。本書にて、二葉亭四迷の人物像に触れ、明治士族の気概に圧倒される次第である。文人としての二葉亭四迷よりも、大陸浪人としての二葉亭四迷に興味を持った。

灰燼十万巻

かいじんじゅうまんかん

(丸善炎上の記)

初出:「趣味」1910(明治43)年1月

29

文明国には必ず智識ある高等遊民あり

ぶんめいこくにはかならずちしきあるこうとうゆうみんあり

初出:「新潮」1912(明治45)年2月

2
2018/08/07

吉野ヶ里さんの感想

勤勉な国民は貧しさの中で育まれやすい。知識をもった遊民が増えるのは国が豊かな証拠。教育を制限するのはもっての許かである。 なるほど。今までになかった視点。ごちそうさまでした。

二十五年間の文人の社会的地位の進歩

にじゅうごねんかんのぶんじんのしゃかいてきちいのしんぽ

初出:「太陽」1912(明治45)年6月

25

明治の文学の開拓者

めいじぶんがくのかいたくしゃ

――坪内逍遥――

初出:「新潮」1912(明治45)年1月

12

駆逐されんとする文人

くちくされんとするぶんじん

初出:「現代」1913(大正2)年5月

14

斎藤緑雨

さいとうりょくう

初出:「現代」1913(大正2)年4月号

32
2021/05/05

19双之川喜41さんの感想

 (本日私は死にました)と言う  死亡の自家広告を出したと言うから 大したもんだ。 江戸戯作者の血を引く 最後の作家と言われた らしい。 根底となる学問を持ち合わせていなかったので  皮肉と饒舌に走る他はなかったというのは  酷かもしれないけど 幸田露伴▫坪内逍遥と張り合っていくには  他に道は無かったとも思われる。

二葉亭四迷

ふたばていしめい

――遺稿を整理して――

初出:「太陽」1913(大正2)年9月

6

二葉亭余談

ふたばていよだん

初出:「きのふけふ」1916(大正5)年3月5日

65
2024/04/28

19双之川喜41さんの感想

 二葉亭四迷は 自分の 文才を 危うんで 神経的に 文章を 気に病んでいた。ドストエフスキーの 「罪と罰」を 露国の 最大文学としつつも 文章は からしき 下手くそとして ツルゲーネフを 上位に置いた。二葉亭は 文学上の 批判が 文章の 好悪に 囚われていたという。文学作品の 評価を 文章力の 評価に 片寄りすぎると 木を見て森を見ずと なることをは あるかもしれないと 想った。

淡島椿岳

あわしまちんがく

――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――

初出:「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月

80

硯友社の勃興と道程

けんゆうしゃのぼっこうとどうてい

――尾崎紅葉――

初出:「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月

94

美妙斎美妙

びみょうさいびみょう

初出:「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月

35

四十年前

よんじゅうねんまえ

――新文学の曙光――

初出:「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月

23

温情の裕かな夏目さん

おんじょうのゆたかななつめさん

初出:「新小説 文豪夏目漱石号」1917(大正6)年1月号

8
2019/10/26

19双之川喜41さんの感想

 漱石は ユーモアのある話しは好きだけど 駄洒落は好まなかったという。 さもありなんと 感じた。 また 作品では 魯庵は 文鳥が好きとか 同感なので 意を強くした。

鴎外博士の追憶

おうがいはかせのついおく

初出:「明星」1922(大正11)年8月号

26

最後の大杉

さいごのおおすぎ

初出:「読売新聞」1923(大正12)年10月2日~6日、8日

33
2021/03/14

19双之川喜41さんの感想

 内田の家に  大杉の 子供達も  頻繁に 遊びに来ていたらしい。 大杉が虐殺されて  娘の魔子は「 叔父さん パパと ママは 死んじゃったの」 と告げていたと言う。 未だに  世界を見れば 酷い殺し方は 行われているけど  日本でも 暗い歴史は あったかと思うと  感無量であると感じた。

三十年前の島田沼南

さんじゅうねんまえのしまだしょうなん

初出:「読売新聞」1923(大正12)年11月30日~12月6日号

38
2019/10/05

19双之川喜41さんの感想

 出だしは 沼南を 大政治家として 褒め称えているけど 次第に沼南の知られて困るようなことを 暴露しているのがなんとも面白い。 自分は 散々女遊びをしておきながら  廃娼運動を提唱して 廃娼より拝娼だと皮肉られている。 妻と不倫をした 貧乏書生に  帰郷する金を出し  読むべき本を与えたりしたのは 太っ腹な美談とされている。

二葉亭追録

ふたばていついろく

初出:「女性」1925(大正14)年1月号

25

露伴の出世咄

ろはんのしゅっせばなし

初出:「改造社文学月報 11号」1927(昭和2)年11月5日

5

八犬伝談余

はっけんでんだんよ

初出:「南総里見八犬伝 下」日本名著全集刊行会、1928(昭和3)年

65
2019/11/07

19双之川喜41さんの感想

 馬琴の 嫌われ振りは 他に類がなく 抜きん出ているところが凄い。 視力を 喪ったあとにも 創作意欲が衰えずに 用紙を押さえている手の跡が 白抜きに見てとれる自筆稿があると言う。 何事も  かなりむきになって  突き進むことが大切なことを  身をもって教えてくれているのかもしれないと感じた。

1 / 2