きたむらとうこく
明治期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた。
明治
北村透谷(本名:北村門太郎、1868年12月29日生まれ)は、神奈川県小田原市浜町出身の評論家・詩人である。幼少期は祖父と継母に育てられ、後に東京へ移住し、自由民権運動に参加した経験を経て文学界へ転向した。彼は近代的な文芸批評を行い、島崎藤村らに大きな影響を与えた代表作として『内部生命論』や『楚囚之詩』が挙げられる。1894年5月16日、自殺で生涯を閉じる。
代表作
文学史の第一着は出たり
ぶんがくしのだいいっちゃくはいでたり
初出:「女學雜誌 第二百十一號」女學雜誌社、1890(明治23)年5月3日
「平和」発行之辞
「へいわ」はっこうのじ
初出:「平和 一號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年3月15日
b9ef941530ccさんの感想
北村透谷の「平和発行の辞」は、透谷の政治家としての考え。ここでもキリスト教を邪教視している。
想断々(1)
そうだんだん(1)
北村透谷の想断断は、訳がわからない。
想断々(2)
そうだんだん(2)
北村透谷の想断断は、国家軍隊の有り様をかたる。フランスを闘犬の如く呼んでいる。意味不明ではある。
漫言一則
まんげんいっそく
初出:「函東會報告誌 二三號」小田原・函東會、1892(明治25)年4月19日
北村透谷の漫言一則は、友だち観が英国と自分らとは違うとでも言うのか。透谷の思想は意味不明。
我牢獄
わがろうごく
初出:「女學雜誌 三二〇號」女學雜誌社、1892(明治25)年6月4日
北村透谷の我牢獄は、自分の牢獄とはいかなるものかを言っているが、読者にしてみれば、意味不明の透谷の文学が牢獄のそのもの中に入れられているようで、苦痛意外の何ものでもない。余りに下らん作品ばかりなので、もう、読むのはヤンペのパルコ。
厭世詩家と女性
えんせいしかとじょせい
初出:「女學雜誌 三〇三號、三〇五號」女學雜誌社、1892(明治25)年2月6日、20日
19双之川喜41さんの感想
書き出しは 藤村に影響をあたえたと言うのは 本当かな。 読みにくい。 意味がとれない。 至上主義にも 疑問があると思った。
各人心宮内の秘宮
かくじんしんきゅうないのひきゅう
初出:「平和 六號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年9月15日
秋窓雑記
しゅうそうざっき
初出:「女學雜誌 三三〇號」女學雜誌社、1892(明治25)年10月22日
処女の純潔を論ず
おとめのじゅんけつをろんず
(富山洞伏姫の一例の観察)
初出:「白表女学雑誌」1892(明治25)年10月8日
心機妙変を論ず
しんきみょうへんをろんず
初出:「女學雜誌 三二八號」女學雜誌社、1892(明治25)年9月24日
他界に対する観念
たかいにたいするかんねん
初出:「國民之友 一六九號~一七〇號」民友社、1892(明治25)年10月13日、23日
罪と罰(内田不知庵訳)
つみとばつ(うちだふちあんやく)
初出:「女學雜誌」1892(明治25)年12月17日
鬼心非鬼心
きしんひきしん
(実聞)
初出:「女學雜誌 三三一號」女學雜誌社、1892(明治25)年11月5日
三日幻境
みっかげんきょう
初出:「女學雜誌 三二五號、三二七號」女學雜誌社、1892(明治25)年8月13日、9月10日
「伽羅枕」及び「新葉末集」
「きゃらまくら」および「しんはずえしゅう」
初出:「女學雜誌 三〇八號~三〇九號」女學雜誌社、1892(明治25)年3月12日、19日
「油地獄」を読む
「あぶらじごく」をよむ
(〔斎藤〕緑雨著)
初出:「女學雜誌 三一五號~三一七號」女學雜誌社、1892(明治25)年4月30日、5月7日、5月14日
「歌念仏」を読みて
「うたねんぶつ」をよみて
初出:「女學雜誌 三二一號」女學雜誌社、1892(明治25)年6月18日
一種の攘夷思想
いっしゅのじょういしそう
初出:「平和 三號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年6月15日
北村透谷の一種の攘夷思想は、明治維新以降の欧米文化導入の中で、キリスト教は邪教なので、受け入れたくない。と言っている。
最後の勝利者は誰ぞ
さいごのしょうりしゃはたぞ
初出:「平和 二號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年5月18日