小林多喜二のお母さん
こばやしたきじのおかあさん
初出:「ゆきのした 第四号」1952(昭和27)年5月1日
約3分
いちにいさんの感想
「死」について、矢張り考えねばなるまい。果たして、幸せな「死」などあるものかどうかということを。
多喜二の死は、読むに敢えない酷い拷問死である。どれ程、痛かったろうか、想像を絶する。多喜二は共産党員だったので拷問死した。しかし、右翼(国民全体が右翼化した)は戦地で死んだ。地雷を踏んで、片足、片手が吹っ飛んだ。即死でなければ、拷問以上の苦しみだ。結局、戦争は右翼も左翼も殺すのだ。ならば、病死は幸せか?脳や心臓の血管系の疾患、癌その他、少なくとも、ベッドや蒲団で死ねれば幸福か?眠るように死ぬ、とは老衰、天寿を全うした死のことだ。人間としての最高の人生だろう。一番許せないのは、死ぬ権利など主張する輩だ。文学者どもの大半が自殺する。太宰など四回も自殺未遂を繰り返す。入水自殺などではなく、多喜二と同様の死に方で自殺してみろと言いたい。指を逆さに折る、などと読むだけで身体中が痛くなる。恐ろしい!もがき苦しみ死んでみろ!五体満足のくせに、何故死に急ぐのか?虐めを苦に自殺をする若者はどうか?同情したくはなるが、死ぬ位なら、何でもできるのでは?と大人の立場からは言える。苛めっ子リーダーと決闘を挑む。負けるのではない。殺されるのだ!苛めっ子を少年Aにさせるのだ。復讐するのだ。死を以て、自己を犠牲にするのだ。あるいは、苛めっ子を殺してしまえ!警察に捕まり、裁判で死刑になるのだ。望み通り死ねる。まあ、でも、その前に多喜二の蟹工船でも読んでみたらどうだい?