青空文庫

「伊藤左千夫」の作品

伊藤左千夫

いとうさちお

生年:1864-09-18没年:1913-07-30

明治〜大正

正岡子規短歌田園文学純愛小説酪農家

伊藤左千夫(本名:伊藤幸次郎、1864年9月18日―1913年7月30日)は、明治期から大正初期にかけて活躍した歌人・小説家である。元治の農家出身で、明治大学を中退後に酪農業に従事しつつ、短歌と小説を書き始めた。1893年頃から正岡子規の『歌よみに与ふる書』に感銘を受け、1900年に師事した。子規没後は根岸短歌会の中心人物となり、『馬酔木』『アララギ』など短歌雑誌を創刊し、アララギ派の基礎を築いた…

滝見の旅

たきみのたび

初出:「日本」日本新聞社、1900(明治33)年10月26日、27日

6
2025/07/18

艚埜臚羇1941さんの感想

  左千夫は 日光の 裏見の滝で 若い 外国人の 御婦人たちを 見かける。靴の上に 草履を つけ 橋の上や 岩の上で 絵を 写していた。このような 深山で みやびたる わざに こころを こらす 少女たちの 心の 内を 思うに いと なつかしく 感じた。それまでは 煩わしき 人たちと 思って いたけど その 振るまいに あい まみえ 彼女達を 見直したという。 ひるがえって 今日では 過剰な 海外人を あまり 良くは 思えない 邦人は やや ふえた らしいけど ひとからげの 即断は 近隣国の 行状の 影響 かもしれないと 感じた。   

草花日記

くさばなにっき

初出:「ほとゝぎす 第四卷第一號」1900(明治33)年10月30日

1

牛舎の日記

ぎゅうしゃのにっき

初出:「ほとゝぎす 第四卷第五號」1901(明治34)年2月28日

6
2025/07/14

艚埜臚羇1941さんの感想

  産まれた 仔牛は 間もなく 亡くなるけど 母牛をねぎらって 味噌汁を 振る舞った とある。珍しく 思った。また 巡査が 牛の 伝染病が 発生してないか 頻繁に 酪農家を 訪れる ような 時代が あったという  ことが 驚き だった。

根岸庵訪問の記

ねぎしあんほうもんのき

初出:「俳星 第二卷第一號」俳星発行所、1901(明治34)年3月12日

6
2025/07/14

艚埜臚羇1941さんの感想

  正岡子規の 根岸の庵を 訪れたものか それとも 訪問を 遠慮 すべきか 左千夫は 果てしなく 逡巡する。子規の 居宅を それとなく 覗き込んだりして 下駄先の 向きで 先客の 有無を 判じ 何回も 勝手しったる 先生の 家の 周辺を 挙動不審者の ように 歩き 疲れはてる。先生の 謦咳には 触れたいし もしも 病身の 先生に 差し障りが あると そのことが きもちに 重く のしかかる。 敬愛する 子規の 弟子としては 訪問 とはいえ 容易なことでは 無いのが 窺われる。

師を失いたる吾々

しをうしないたるわれわれ

初出:「心の花 第五卷第十一號」大日本歌學會、1902(明治35)年11月1日

5
2019/09/30

459d81d0b10fさんの感想

あるお笑い芸人が六十過ぎて父親が亡くなり、さてどうしょうかと不安になったと言っていたのを思い出した。

正岡子規君

まさおかしきくん

初出:「日本」日本新聞社、1902(明治35)年9月27日、10月3日、10月4日

11
2019/10/24

19双之川喜41さんの感想

 下総の人 長塚節 (たかし)は 子規の養子 であるとは 初耳である 。初めて 子規に   面会した時に 節(たかし)は 正岡子規 の 数十種の和歌を 暗誦していたという。 それ以来 交流を続け  養子縁組に至ったらしい。 正岡子規は 長塚節から 和歌も  評価されたのが とりわけ 嬉しかったのかなと 思った。

市川の桃花

いちかわのとうか

初出:「日本」日本新聞社、1903(明治36)年4月7日

1
2017/08/30

b9ef941530ccさんの感想

伊藤左千夫の市川の桃木は、桃の木に伊藤左千夫なりの思い付きを綴ったもの。特になんも感じるところはない。

竹の里人 一

たけのさとびと いち

初出:「馬醉木 第二號」根岸短歌会、1903(明治36)年7月5日

5
2017/08/31

b9ef941530ccさんの感想

伊藤左千夫の竹の里人 一 は、自分が33才のときが一番良かったとか言ってる。

浅草詣

あさくさもうで

初出:「心の花 第六卷第二號」大日本歌學會、1903(明治36)年2月5日

7
2025/07/18

艚埜臚羇1941さんの感想

  家族の 一員の 幼い たあちゃんが お腹が 痛い ということで 楽しみにしていた お出かけが 中止になったので 子供たちが がっかりする様子が 愛情にあふれる 文で 綴られている。身辺の 些事を かきとめて 妙であると 感じた。

竹乃里人

たけのさとびと

初出:竹乃里人「馬醉木 第六號」根岸短歌会、1903(明治36)年11月13日

38

井戸

いど

初出:「馬醉木 第十一號」根岸短歌会、1904(明治37)年5月5日

4
2021/03/18

19双之川喜41さんの感想

 井戸に 落ちた話ではなかった。 井戸に 落とした小刀を 拾い上げた 思出話である。 丸井戸は 寺の庭にはあったけど 一般的な家庭では ポンプを足で 繰って 顔を洗ったと聞く。

家庭小言

かていこごと

初出:一「新佛教 第六卷第一號」新佛教徒同志會、1905(明治38)年1月1日

20

野菊の墓

のぎくのはか

初出:「ホトトギス」1906(明治39)年1月

89
2024/09/01

7592ad52a6ecさんの感想

令人非常伤感的一部著作,不完美可能就是人生的主旋律吧!

茶の湯の手帳

ちゃのゆのてちょう

初出:「馬醉木」1906(明治39)年1月、3月、10月

20
2017/08/30

b9ef941530ccさんの感想

伊藤左千夫の茶の湯の手帳は、茶の湯は趣味ではあるが、単に楽しみだけでなく、精神面での上達がある。形式的であってはならないのだ。茶人ひ著作とかはなく、芭蕉蕪村も著作などない。茶の湯の本等は商売人が金儲けの為に出しているので、精神がない。

八幡の森

やわたのもり

初出:「馬醉木 第三卷第一號」根岸短歌会、1906(明治39)年1月1日

6
2022/04/12

19双之川喜41さんの感想

 森というよりも  竹やぶというほうが 当たっているらしいけど  神社の辺りを 描写しており  写生文のようではある 。 左千夫は 風景を切り取って  油絵にしてみたい と 思ったりする。 ジオラマを  彷彿とさせると 感じた。

絶対的人格

ぜったいてきじんかく

正岡先生論

初出:「馬醉木 第三卷第一號」1906(明治39)年1月1日

11

八幡の森

やわたのもり

初出:「馬醉木 第三卷第一號」根岸短歌会、1906(明治39)年1月1日

7
2025/07/18

艚埜臚羇1941さんの感想

  関係者の諸氏のなかで索引を使いこなせない人が驚くほど多いので重複はかなりあるかもしれない。実数は公称より数分の一と見た方が本当の収録数に近いであろう。人間向き不向きがあるので気にする者負けの世界である。

水籠

みずごもり

初出:「ホトヽギス 第十一卷第二號」1907(明治40)年11月1日

13
2019/10/24

19双之川喜41さんの感想

 当時は  避難所なるものが  あったのか  分からないけど  水没した 家の中に  物を積み上げて  その上に 四枚の畳を 敷いて 六人が籠る。 食事は兄から届き  同人からの見舞状は  郵便 小舟が 届けてくれ る。 金魚▫ 鰌▫ 鰻 ▫蛙 ▫興梠が 辺りを 徘徊する。 水難の悲惨を 幼子がほぐすのである。

子規と和歌

しきとわか

初出:「中央公論 第二十二卷第九號」1907(明治40)年9月1日

10

浜菊

はまぎく

初出:「ホトトギス」1908(明治41)年9月

28
2023/10/09

a9b2be4143a4さんの感想

それはエゴだよ! とはいえ、立身出世とか、郷里に錦などという言葉をあまり耳にしなくなりましたな。 世に出る人が少なくて済む時代になったのかしら。

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