博士の目
はかせのめ
初出:「ヒッチコック・マガジン 第四巻第五号」宝石社、1962(昭和37)年4月1日
約15分
cdd6f53e9284さんの感想
坂上弘の訃報を聞いたとき、山川方夫と交友を深めて、その思い出を熱く語る仲間も、ついに絶えてしまったのだなと、なんだか寂しい思いをしたものだ。
当時の三田文学のゴタゴタや山口瞳の悪口なども、もはやこれで思い返したり語り伝える人間もいなくなってしまったのかという、ひとつのムーブメントの区切りを越えてしまったみたいな気がしたのかもしれない。
しかし、実は自分は、多くの三田文学系の山川方夫の信奉者たちのようには、この作家の作品をどうしても好きにもなれなかったし、評価もできないできた。
同じ1930年生まれとして思い浮かべる作家たち、たとえば開高健や大庭みな子など日本だけには収まり切れなかったスケールの大きな作家と比べると、明らかに見劣りがする感じがした。
よく山川方夫の文体を「洗練された文体」という言われ方をしていたが、しかし、それは裏返していえば小さく纏まりすぎていて、時代をこじ開ける瞬発力のある力強さに欠けるということでもあったのだと思う。
にもかかわらず、文学史的に山川方夫の記憶を霞ませることなく今日に至ってもなお、その作品に一定の存在感を保ち得させたのは、坂上弘の折々の語り継ぎの尽力と、そしてなによりも若くして早世した惜しまれた死ということも大きかったのではないかと考えてきた。
しかし、今回、この「博士の目」という作品を読んで、自分の長い間の疑念が氷解した。
山川方夫を開高健や大庭みな子なみに評価し比較すること自体、当を得てない見当違いの視点に過ぎないし、彼は逆にライトノベルの練達の書き手だったのだ、と率直に思った。
最初からそういう読み方ができていたら、彼の書き手としての「巧みさ」をもっと早い時期に評価できていたに違いない。
この「博士の目」という作品に限っていえば、着想と怪異を狙ったにしては、それほどの怖さは感じない。
成功作か、失敗作か、といえば、明らかに作品の弱さが印象的な作品だ。
なぜか。
それは、この作品の恐怖の象徴としたものを「あひる」に設定したからだ。
あひるの印象は「まぬけ」であって、決して人間に危害を及ぼしかねない「恐怖の鳥」ではあり得ない。
恐怖の鳥に相応しいのは、なんといってもカラスのほかには考えられないと考えたとき、この作品が発表された雑誌が「ヒッチコック·マガシン」だったことを思い出した、
しかも、時は、まさに1962年、ヒッチコックのあの伝説の映画「鳥」が作られていた年だ。
生来の明察から情報を先取りして機転を利かし、巧みに換骨奪胎した結果が「カラス→あひる」だったとしたら、その「明察」も「機転」も、単なる仇となって作品に報いたにすぎないことになる、誠に残念ではあるが。