大阪の宿
おおさかのやど
初出:「女性」大阪プラトン社、1925(大正14)年10月~1926(大正15)年6月
約317分
cdd6f53e9284さんの感想
うらぶれた下宿屋で女中としてコキ使われる女たち、下積みの女たちの哀歓が、余すところなく描かれている水上滝太郎の珠玉の名品である。
稼ぎのない亭主との腐れ縁を断つこともできず、金銭の苦労が絶えないおりかは、亭主に貢ぐための借金の申し出をむげに撥ね付けられたことから、切羽詰まって下宿人の金に手を付け、それが発覚し、働き場所を追われて、さらに不安定なその日暮らしの生活に追い詰められていく。
あるいは、わずかな給金のために、ひとり息子と離ればなれに暮らして働かなければならないおつぎにとって、この惨めな生活に耐えることのできる唯一の夢である息子との逢瀬を女将に撥ね付けられ、憤慨しながらも、彼女にできることといえば、せいぜい旅館の名入りの湯飲み茶碗を土間に叩きつけるくらいだ。
彼女たちに、内に滾る激情というものがあったなら、あるいは、女将の理不尽な扱いに対して、誇りを傷つけられたことへの怒りに逆上した女は、台所から包丁でも持ち出し、明らかな殺意をもって女将を追いかけ回すくらいの炸裂する怒りの描写があったとしても一向に不思議でないシチュエーションである。
しかし、ここに描かれている善良な女たちは、女将の理不尽な扱いに対しても憤りを抑え、その不運をただめそめそと悲しむばかりで、些かの反抗の素振りもみせようとはしない。
これが、水上滝太郎好みの女性像なのかもしれない。
そのようにみていけば、この物語の最後、大阪を離れる三田の送別会に集まったウワバミや田原など負け犬たちを、無力な三田の目を通して諦念と共に温かく見つめる作者の共感が描かれているその先に、最後の送別会の場についに姿を見せなかった三人の女性のことに言及しなければならないだろう
ただ憧れをもって眺めていたにすぎないショーウィンドウの中のお嬢さん、旅館「酔月荘」の第三の女中およね、そして、三田に偽の布地を売った貧しいお針子おみつ。
しかし、朝の通勤で擦れ違うだけの憧れの先輩の娘「お嬢さん」は、父親の自殺のあとで行方知れずになってしまう。
そして、「酔月荘」の第三の女中およねは、格式を重んじた下宿屋から下劣な連れ込み旅館へと変節する墜落過程において才能を開花させ、女将の信頼を最も獲得して、戦後の猥雑を生き抜くしたたかさを予感させる。
また、病身の父を抱えたおみつは、三田に偽の布地を売り付けた責めを一心に負って、支給された生活保護費を渡しにきたその夜に、同じ下宿人の野呂に処女を奪われて、そのことに責任を感じた三田の救いの手も厳しく拒絶して立ち去る。
心に残るいい場面だ。