青空文庫

「硯友社の沿革」の感想

硯友社の沿革

けんゆうしゃのえんかく

初出:「新小説 第6年第1巻」1901(明治34)年1月1日

尾崎紅葉55
作家の日常回顧的文壇交友叙情的懐古

書き出し

夙て硯友社の年代記を作つて見やうと云ふ考を有つて居るのでありますが、書いた物は散佚して了ふし、或は記憶から消え去つて了つた事実などが多い為に、迚も自分一人で筆を執るのでは、十分な事を書く訳には行かんのでありますから、其の当時往来して居つた人達に問合せて、各方面から事実を挙げなければ、沿革と云ふべき者を書く事は出来ません、其に就て不便な事は、其昔朝夕に往来して文章を見せ合つた仲間の大半は、始から文章

2022/05/04

cdd6f53e9284さんの感想

かなり以前、ある文学館で「東京ゆかりの文学者たち·明治編 」なるテーマの展示会が開かれたので見にいった。 そこで貰ったパンフレットに硯友社についての解説が、ほんの数行掲載されていたのだが、その要を得た見事な文章に感心して、思わず当日の日記にその全文を筆写しておいたので、幸い現在でも読むことができる。 たぶん、そのパンフレットには、文の末尾にでも執筆者名が記されていたと思うのだが、迂闊なことに書き漏らした。 まずはその見事な解説を御堪能あれ。 ❮尾崎紅葉の「多情多恨」1896は、死んだ妻のことを思って泣いてばかりいる男の話である。 田山花袋の「蒲団」1907は去っていった女弟子の蒲団の匂いを嗅いで泣く男の話である。 男泣きの物語という点ではよく似ているが、前者は泣く男を作者が面白がり、後者は泣く男に同化して作者も涙ぐむ。 紅葉は批評的であり、花袋は叙情的であった。 ところが紅葉は前近代の文学の掉尾を飾る人であり、花袋は近代文学の出発の合図を出した人である。 とすると何か話が逆みたいな気がしないか。 でも、変は変だが、これがわが文学史の実体だった。 硯友社は自然主義より、ずっと知的だったのである。❯ 筆写しているうちに、文章の運びから、なんとなく執筆者の見当がついてきた、あの人だ。 さて、分かるかな?

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