青空文庫

「伊藤野枝」の作品

伊藤野枝

いとうのえ

生年:1895-01-21没年:1923-09-16
作品数:104

日記より

にっきより

初出:「青鞜 第二巻第一二号」1912(大正元)年12月1日

11
2025/03/16

72783df90e06さんの感想

 1912年春、東京の女学校を卒業して帰郷した野枝さんを待っていたのは見ず知らずの男との結婚であった。親族が決めた結婚を拒否して郷里を飛び出した野枝さんは、青鞜社をおこした平塚らいてうに胸の内を話し、激励を受け、この結婚を解消するために再び郷里へ戻る。  しかし、すでに入籍も済まされており親族の誰一人として野枝さんの気持ちを理解するものはいない。野枝さんを縛り付ける「娘の結婚は親が決める」という習俗。  何故解ってもらえないのか。自分の心と身体は自分のものではないのか。自分の進む道は自分で決めたい。辛く床に伏す毎日。わずかの慰めは今宿の海辺を歩く時だけだった…。  苦悩の日々を日記形式で綴った『青鞜』第二作。11月号にデビュー作『東の渚』を発表した野枝さんは、翌月号に「日記より」を発表し、自由を求めて習俗打破の道を歩み始める。

東の渚

ひがしのなぎさ

初出:「青鞜 第二巻第一一号」1912(大正元)年11月1日

1
2025/03/15

72783df90e06さんの感想

 伊藤野枝17歳の『青鞜』デビュー作。この作品は当時は当たり前であった娘の結婚は親が決めるという習俗に対する抵抗と出発の詩である。  2年間の東京での女学校生活を終えた野枝を待ち受けていたのは郷里での見ず知らずの男との結婚であった。野枝は思う。自分の心も体も自分のもの。自分の生き方は自分で決める。私はもっと勉強して筆で身を立てて行きたいのだ。結婚は嫌だ。しかし、野枝の気持ちを理解する者は誰もいない。わがままをいうな。おまえのためを思って決めた結婚だ。黙って従っていれば幸せになれる。  体をこわし床に伏す毎日、今宿の海辺に立つ野枝。この苦しみから逃れるにはいっそ海に飛び込んで…。だが、野枝が選んだのは死ではなく、強制された結婚を拒否して郷里から飛び翔ち、『青鞜』と共に自由な自己の道を歩いて行くことであった。  自由と女性の解放を求めて書き、闘い、生きた伊藤野枝の出発の詩-記念碑的作品である。

新らしき女の道

あたらしきおんなのみち

初出:「青鞜 第三巻第一号附録」1913(大正2)年1月1日

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寄贈書籍紹介

きぞうしょせきしょうかい

初出:「青鞜 第三巻第一号」1913(大正2)年1月1日

1

寄贈雑誌

きぞうざっし

初出:「青鞜 第三巻第二号」1913(大正2)年2月1日

2

新刊紹介

しんかんしょうかい

〔伝説の時代〕

初出:「青鞜 第三巻第九号」1913(大正2)年9月号

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2022/04/07

cdd6f53e9284さんの感想

誰彼構わず噛みつくような伊藤野枝の舌鋒鋭い批評文を読み慣れている者にとって、このベタ褒めの新刊紹介❮野上八重子(当時)訳「伝説の時代」❯には、かなりの違和感がある。 これではもう、ほとんど宣伝文だ。 伊藤野枝が書いた他の文章を読めば分かるが、他人をそう簡単には褒めるような御仁ではない。 なので、背中がこそばゆくなるようなこのベタ褒め文章を素直に読むことができなかった。 やはり、この本の「序文」を漱石が書いていることが大きく効いているのだろうか。 まさかね、と思いながら、漱石全集を引っ張り出した。 漱石全集第十一巻の「序文」の項にこの一文は分類されているが、これは本来は野上八重子(のちに弥生子)自身に宛てて出された私信で、文面の最後で漱石は、 「序を書きたいのは山々ですが序らしい序が書けないので此の手紙を書きました。もし序の代わりにでも御使いができるならどうぞ御使い下さいまし」 と書いて序文として使用することを許している。 また、文中で漱石は言い訳するように書いているが、聖書もギリシャ神話も精読していない自分などが、序文を書いてもいいのかという思いもあって❮私信→序文❯という手順を踏んだものと考えられなくもない。 いずれにせよ、どんな形であれ、漱石の序文は書かれたわけだから、それなりの状況(野上豊一郎の存在の影響)とこの本を書いた八重子の仕事への評価があって執筆されたことは確かだろう。 主婦として育児や亭主の世話をしながら僅かな時間を積み重ねて為された八重子の労力には感服したと漱石自身も書いているのだから。 その部分で漱石は、こんな面白いことを書いている。 ❮ギリシャのミソロジーを知らなくとも、イプセンを読むには殆ど差し支えないでしょう。もっと皮肉にいうと、人生に切実な文学には遠い昔の故事や故典はどうでも構わないという所につまりは落ちて来そうです。あなたもそれはご承知でしょう。それでいてこんな夢のようなものを八ヶ月もかかって訳したのは、恐らく余りに切実な人生に堪えられないで、古い昔の、有ったような又ないような物語に、疲れすぎた現代的の心を遊ばせるつもりではなかったでしょうか、もしそうならば私も全く御同感です。······弱い神経衰弱症の人間が無闇に他の心を忖度していい加減なことを申して済みません。もし間違っていたら御勘弁を願います。❯ ズバリ、苦しみながら、それでも小説を書き続けていることで世間と折り合いをつけて自分を保てると悟った、まさにこれが漱石の本音だ、とともに、あなたもそうなんだねと野上八重子に共感したのかもしれない。 こういう序文を読んでしまったら、いかに伊藤野枝といえども、むやみやたらに噛みつくことができなかったのであろう。 これは単なる邪推だが、伊藤野枝は野上八重子に対して、なにか負い目のようなものを持っていたのではないかと、なんとなく感じた。 もちろん根拠なんてものは何もないが、青鞜が創刊された明治44年、26歳の八重子は青鞜社に入社したが、翌月にはすぐに退社している。 果たして、何があったのだろう。 そうでなくとも男女関係に対して奔放で囚われない一種ルーズなものが伊藤野枝の周囲にあっただろうから、まだうら若い女性には堪えられないものがあったことは想像できるが、しかし、退社後も青鞜には投稿だけは続けている。 伊藤野枝が、この新刊紹介を書いた同じ年に野上八重子は、青鞜に「ソニア·コヴァレフスキーの自伝」の翻訳の連載を始めている。

編輯室より

へんしゅうしつより

(一九一三年七月号)

初出:「青鞜 第三巻第七号」1913(大正2)年7月号

3

編輯室より

へんしゅうしつより

(一九一三年六月号)

初出:「青鞜 第三巻第六号」1913(大正2)年6月号

7
2017/01/20

f995ab8f5ed7さんの感想

これはあの有名な伊藤野枝殺人事件の脅迫文だとしたら、非常に貴重な文献だと思います。 第一に殺害してやると文面に明示されているのに、 中高生のふざけたイタズラかと思った野枝さんは嘲笑ってこの編集室後記に載せたのが、犯人を逆上させる一因となってしまったのか… 何はともあれ犯行予告が残っていてそれを見れるというのはすごいなと思いました。

遺書の一部より

いしょのいちぶより

初出:「青鞜 第四巻第九号」1914(大正3)年10月1日

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惑ひ

まどい

初出:「青鞜 第四巻第四号」1914(大正3)年4月1日

15
2019/11/03

19双之川喜41さんの感想

 恋の 鞘当(さやあ)て  鍔迫(つばせ)り合いと言うか  若いだけに  妄想と 嫉妬は  頭の中に広がり 収拾がつかなくなってしまう。 青春の 通過儀礼として  多かれ少なかれ このような経験は  誰にでも あるのかもしれないと感じた。

『婦人解放の悲劇』に就て

『ふじんかいほうのひげき』について

初出:「青鞜 第四巻第三号」1914(大正3)年3月号

6

新らしき婦人の男性観

あたらしきふじんのだんせいかん

初出:「新婦人 第四年一月之巻」1914(大正3)年1月

4

従妹に

いとこに

初出:「青鞜 第四巻第三号」1914(大正3)年3月号

13

S先生に

エスせんせいに

初出:「青鞜 第四巻第六号」1914(大正3)年6月号

17

最近の感想

さいきんのかんそう

初出:「青鞜 第四巻第八号」1914(大正3)年8月号

4

「現代と婦人の生活」序に代へて

「げんだいとふじんのせいかつ」じょにかえて

初出:「現代と婦人の生活」反響叢書第二編、日月社、1914(大正3)年11月27日

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2022/01/24

阿波のケンさん36さんの感想

青鞜と言う同人誌をらいてうから野枝が受け継ぐのであるかららいてうの作品に祝辞を贈るのは当たり前の事だろう。

人間と云ふ意識

にんげんといういしき

初出:「青鞜 第四巻第一〇号」1914(大正3)年11月号

8

編輯室より

へんしゅうしつより

(一九一四年三月号)

初出:「青鞜 第四巻第三号」1914(大正3)年3月号

2

編輯室より

へんしゅうしつより

(一九一四年一一月号)

初出:「青鞜 第四巻第一〇号」1914(大正3)年11月号

4

編輯室より

へんしゅうしつより

(一九一四年一二月号)

初出:「青鞜 第四巻第一一号」1914(大正3)年12月号

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