青空文庫

「司馬遷」の作品

司馬遷

しばせん

生年:没年:

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

02 管晏列伝第二

初出:不明

23

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

04 司馬穰苴列伝第四

初出:不明

15
2022/03/21

3afe7923d6ecさんの感想

ついに史記列伝の「司馬穣苴」がアップされたか。 不運の名将だ。 なんといっても、列伝の四番目にあげられているくらいだから、むかしから、その人気の高さは当然だが、たぶん、その人気の高さのなかには、猛々しい武人であるとともに、卑しい身分の出のために最下層民の苦難もよく理解し、自分の食べ物を減らしても部下に分け与えたという逸話が大衆の心を動かしたのだろう。 それほど目端のきく武人だったから、人並みはずれた知略と明察ゆえに晩年には疎んじられ敬遠された、というか、むしろ恐れられ無視された惨憺たる失意の死が、大衆を惹き付けてやまなかったのかもしれない。 数々の武勲をたて、乱世を平定して、世に平和をもたらした功労者である武将たちが、平和の時代になれば、疎んじられるのは、世の常だ。 しかし、権謀術数を尽くして政敵を次々と葬り、革命後も為政者として権力の座に居座り、数々の愚策を弄して何千万もの中国の民を死地に追いやったタチの悪い狂人毛沢東の例もある。 まあ、本当のところは、広い中国大陸を逃げ回っているうちに戦争が終わってしまって、ご本人はなにもしないうちに、権力の方が懐に転がり込んできたというのが実態なのだから、革命家などと、チャンチャラ可笑しくて聞いてあきれるが。 そのあたりはスターリンと同じだし、そのあとを狙っているあの後継者たちも揃いも揃って狂人ぽいところは至極似ている、いずれにしても不気味で不潔な殺し屋たちだ。 愚民たちよ、分からないのか、もうこれ以上、やつらの嘘に踊らされて狂人に従うな! とにかく、この司馬穣苴、懐かしくて何度も読み返してしまった。名文だ。 読み返しているうちに、あることを思い出した。 穣苴が軍規をおかした莊賈を、軍規に照らして処刑する場面から、諸葛孔明の「泣いて馬謖を斬る」を連想したのだ、あの処刑とこの処刑とは、意味的にどう違うのかと。 軍規に違反した莊賈を前にして、穣苴は法務官を呼び寄せ、この行為は軍規に違反するかと確認してから処刑した。 そして、処刑した死体を兵たちに見せて、たとえ身分の高い者でも軍規に違反すればこうなるのだぞと示した。 兵たちは緊張し、弛緩していた雰囲気は一瞬で引き締まり、士気もあがったという。 諸葛孔明の場合はどうか、 馬謖が処刑された理由は、諸葛孔明の指示とは別の場所に陣をしいて、結局は、その判断の誤りのために自軍を全滅させてしまったことだ。 処刑する時に、ある武将から馬謖の命ごいをする者があった。 確かに命令には背いたが、馬謖のとった戦略も作戦のひとつで、あの判断自体は間違っていたとはいえない、死を賜るほどのことではないと。 しかし、馬謖は、命令に従い、それを違えた場合は、如何なる処罰も甘んじて受けるという一札をいれている手前、諸葛孔明も泣いて馬謖を斬ったというわけだ。 三國蜀志にはこうある。 「亮(孔明)政を為すに私なし、馬謖素より亮の為に知らる、敗軍に及びて、涕を流してこれを斬り、而してその後をあわれむ」 私情を抑え、如何なる者の、如何なる不正行為も、軍規に照らして、それが違反行為であれば、厳しく処刑し、その死体をオオヤケにして兵たちの士気を高め、そして、目下の者を慈しみ庇うことを決して忘れなかった武将、それが司馬穣苴だ。

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

05 孫子呉起列伝第五

初出:不明

45
2024/04/15

19双之川喜41さんの感想

 呉起は 王にたいして 女官を 百数十名集め 整列させるように 云う。あろう事か 段取りが 悪いとして 主だった 二人を その場で あやめる。些細なことで 命を 経つような男を 重用する 王にたいして 嫌悪感が 沸き起こる。と感じた。今も 昔も 人の 重い 命を おもちゃにする 暗愚の 為政者は 後を 絶たない。

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

01 伯夷列伝第一

初出:不明

31
2022/04/03

cdd6f53e9284さんの感想

武田泰淳の「司馬遷-史記の世界」の書き出しは、こうだ。 《司馬遷は生き恥さらした男である。》 挑発的で極めて強烈なインパクトのある書き出しだが、この言葉に出会ったとき、司馬遷のどこが「生き恥」なのか、考えてみたことがある。 ときは武帝の頃、 蛮族匈奴の征討にのぞんだ忠誠の武将李陵は歩兵わずか五千で、匈奴の精鋭八万の騎兵に包囲された。 敢然と応戦したのだが、ついに刀折れ矢尽きて李陵軍は全滅し、李陵は捕虜にされた。 その敗戦の報に接するや保身に走る官僚たちは、武帝の顔色を伺いながら李陵の降伏を非難したが、司馬遷だけは李陵の戦功をたたえて彼の立場を弁護した。 しかし、その弁護は同時に、李陵軍が李広利軍の別動隊だったことから、功績のなかった李広利をそしるものと受け取られ、武帝を激怒させた。 というのは、李広利の妹李姫が武帝の寵愛を受けていたからだ。 武帝の怒りをかった司馬遷は、腐刑(去勢)に処せられる。 かつて腐刑に処せられた者は元来生き永らえるべきでないと思われていた時代に、司馬遷は、あらゆる恥辱を堪え忍び、書き上げたのが「史記」だったのである。 屈辱的な刑により「行動」を封じられた司馬遷の心境を、伝記はこう伝えている。 「受けた恥辱の怒りと憤りは、理不尽な現実の政治を批判的にとらえる冷徹な姿勢と視点で、歴史の著述に専念させた」と。 優れた人間を忘却から救うことこそ、歴史を書く目的であると論じ、列伝にとりあげられるのは記憶に値する人物だけだ。 つまり、「義をもちてテキトウ(才気が衆人より遥かに優れているの意)己れをして時を失わしめず功名を天下に立つ」、これが列伝のテーマであり、儒家の形式的見方にとらわれることなく自在な視点から、任侠の徒、テロリスト、商人など、儒者からは非難されかねない悲劇の人物に対する興味と同情で、この列伝を精彩あるものにしている。 その反面、司馬遷の武帝に対する批判は厳しく、迷信に迷う武帝や、帝の意のままになる能吏や酷吏を過去の人物と比較してするどく指弾している。 この司馬遷の明解な視点は、後世に広く評価された。 例えば、こうだ。 「弁にして華ならず、質にして俚ならず、その文は直、その事は核、むなしくほめず、悪を隠さず、ゆえにこれを実録という」(班固)などと称えられた。 司馬遷が列伝の第一をこの「伯夷列伝」としたことからも、その姿勢は十分に理解できよう。 周の武王を諌めて聞き入れられなかった伯夷と叔斉が、周に仕えることを恥じて首陽山に隠れ、周の食べ物の代わりに薇(ぜんまい)を食べて餓死したという逸話である。 世の中の善人の運命について、さらにいえば、自己貫徹を理想とする武人の生き方の是非を問うもので、天道に対して深い懐疑をもらしている。 天道は、ついに頼むべきではないと。 しかし、天道がついに善に与しないものであるとしても、天道の存することはまた、疑いえない。 天道の是非を問うことは、神を失った人間の宿命というべきであろうと。 ゆえに、「天道是か非か」だ。 よく「天道親なし、常に善人に与す」という人があるが、これは人間が空しく天に期待している言葉である。 この言葉の通りなら、善人は常に栄えるはずではないか。 侵略者ロシアが栄え、ウクライナが衰退し、滅亡すれば、つまりそれが「天道是か非か」だ。

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

03 老荘申韓列伝第三

初出:不明

44

国訳史記列伝

こくやくしきれつでん

06 伍子胥列伝第六

初出:不明

58
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