青空文庫

「広島の牧歌」の感想

広島の牧歌

ひろしまのぼっか

初出:「中国新聞」中国新聞社、1950(昭和25)年12月7日

民喜5

書き出し

鶴見橋といふ名前があるからには、比治山に鶴が舞っていたのだらう。私の亡父はその舞っている鶴を見たことがあるといふ。比治山の鶴が飛んだビンロイと、箸ですくった茶碗の御飯を幼児の口にあてがってやる、おどけた習慣は今も広島の女に残っていることだらうか。比治山には要塞があった〔。〕大砲が松の間に隠されて、海の方を覘ってゐた。県師の附小生だった私は、学校の帰りによくこの山に登ったものだ〔。〕戦争末期に戸籍抄

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