偏奇館漫録
へんきかんまんろく
初出:「新小説 第二十五年第十號~第二十六年第三號」春陽堂、1920(大正9)年10月1日~1921(大正10)年3月1日
永井荷風約55分
書き出し
○庚申の年孟夏居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり。因って偏奇館と名づく。内に障子襖なく代うるに扉を以てし窓に雨戸を用いず硝子を張り床に畳を敷かず榻を置く。朝に簾を捲くに及ばず夜に戸を閉すの煩なし。冬来るも経師屋を呼ばず大掃除となるも亦畳屋に用なからん。偏奇館甚独居に便なり。門を出で細径を行く事数十歩始めて街路に達す。細径は一度下って復登る事渓谷に似たれば貴人の自動車土を捲いて来るの虞なく番地は近…
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