天才になりそこなった男の話
てんさいになりそこなったおとこのはなし
初出:「東洋大学新聞 第一二〇号」東洋大学新聞学会、1935(昭和10)年2月12日
書き出し
東洋大学の学生だったころ、丁度学年試験の最中であったが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあった。相当に運動神経が発達しているから、二、三間空中に舞いあがり途中一回転のもんどりを打って落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。頭蓋骨に亀裂がはいって爾来二ヶ年水薬を飲みつづけたが、当座は廃人になるんじゃないかと悩みつづけて憂鬱であった。こんな話をきくと大概の人が…
taroさんさんの感想
天才の生まれ方にまつわる都市伝説的なものってずーっと昔からあるんだろうなぁと思った
de1be808a60aさんの感想
病は気から 人生も然
いちにいさんの感想
なんか昔読んだ記憶がある
58670ebe546aさんの感想
菱山修三先生という詩人のことを書いた短編は、軽妙で機知に富んでいて面白い。坂口安吾の独特の視点や観察眼がやはりいいなあ、と思う。 子供の頃に母親か家政婦が乳母車をひっくり返して頭をぶつけた子供が天才になると信じていた先生は不思議な人ですね。その先生を尊敬と愛情深さを込めて表現されたことが、素晴らしいと思いました。ネットで菱山修三先生のことも調べてしまうくらい、好印象さが伝わって来ました。
1b3950ea6ddeさんの感想
天才になりそこなった男の話 …坂口安吾 を読んで 具体的に自分のことを客観的に捉えることは程度によるが、かなりの成熟が必要。 短絡的ながらに其の人の考え方を推し量り、そうならない時、経験に若いならば意外な感覚があるもの。 其を俯瞰し、当時、斯様な迷信も在るものかと思う。 確かに何故か天才は起こり在るもの。ある時、意図的に一瞬で物理学的解決を導く法則を掌の上に現すことができる。 頭を強打し天才となる、そのことは天才の具体的な素地が在るならば起こりうる。 天才的とは偶然ではない。 必然的に経験として現れ、繰り返し再現できる法則を導いている。 事故等によりバランスを失うと視角が変わり絶えず発見がある感覚を覚える。 精神の不安定さは寧ろなく、肉体からの不安定さを理性的に処理しない感覚に身を置く。 あるとないとゆう垣根、 命とは垣根はない。 生きていることは当たり前ではない。 あらゆるものその実をうしなわない。