そうわ
初出:「中央公論」1925(大正14)年1月
書き出し
一道太が甥の辰之助と、兄の留守宅を出たのは、ちょうどその日の昼少し過ぎであった。彼は兄の病臥している山の事務所を引き揚げて、その時K市のステーションへ著いたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので、ほんの一二枚の著替えしかもっていなかったところから、病気が長引くとみて、必要なものだけひと鞄東京の宅から送らせて、当分この町に滞在するつもりであったが、嫂も看護に行っていて、留守宅…