青空文庫

「人魂の一つの場合」の感想

人魂の一つの場合

ひとだまのひとつのばあい

初出:「帝国大学新聞」1933(昭和8)年11月

内省怪奇科学的手法分析的静謐

書き出し

ことしの夏、信州のある温泉宿の離れに泊まっていたある夜の事である。池を隔てた本館前の広場で盆踊りが行なわれて、それがまさにたけなわなころ、私の二人の子供がベランダの籐椅子に腰かけて、池の向こうの植え込みのすきから見える踊りの輪の運動を注視していた。ベランダの天井の電燈は消えていたが上がり口の両側の柱におのおの一つずつの軒燈がともり、対岸にはもちろん多数の電燈が並んでいた。突然二十一歳になるAが「今

2022/05/10

cdd6f53e9284さんの感想

書き手としての寺田寅彦という人の素晴らしき巧者振りを見せつけられた一文だった。 タイトルに「人魂」とあるから、こちらは当然、柳田國男とか水野葉舟とか、あるいは折口信夫みたいな感じで怪異を説明した文章だろうというつもりで読み始めたのだが、さにあらず、もう最初から見た者の錯視か、何処かで点灯した光が何かの加減で偶然人魂のように見えただけだという前提で、それを検証すべく話をどんどん進めていく。 人魂なんてそんな非科学的な怪しげなもの、最初から問題にするようなものなんかじゃないのだ。 さすが寺田先生、怪力乱神を語らずというやつですね、と思いかけた最後にこうあった。 ❮われわれの子供の時分には、火の玉、人魂などをひどく尊敬したものであるが、今の子供らはいっこうに見くびってしまってこわがらない。 そういうものをこわがらない子供らを少しかわいそうなような気もするのである。 こわいものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。 こわいもののない世の中をさびしく思うからである。❯ なるほど、なるほど、寺田先生、押さえるところは、ちゃんと押さえていますねえ、見事です。

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